一月三舟
世の中、いろんな事があり、いろんな見方がある。いろんな人間もいる。豊川市議会議員:倉橋英樹のblogです。
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「死」の意味と般若心経~すべては考え方次第~
(今回は、哲学っぽい記事です。お葬式に出ることも増えたので、思う事を書きます。)

私が、私らしく政治活動をしているとよく聞かれることがある。
そして、一様に同じ反応をされる。

先日も「何故、そこまで達観しているのか?」「何が動かすんだ?」と聞かれた。
自分としては分からないが、どういう人生を歩んで来たかを話す。

そして、いつもすぐに「それでか!」と納得されるのだ。
曰く、私が物心つく前に父親を失くしているからだという。

良く考えたことはないが、そうかもしれない。
「父親はいないもの」、人とは違う環境に置かれ、価値観もずれていった。

よく家族構成を聞かれ「父親は死別している」と答えると、質問した人から「ごめん」と返された。
「ごめん」と言われるほどの事ではなく、自然な事で大したことないのに、と毎回思った。

そう、「死」は自然の事である。

ともすれば、他者の「死」は、任せきりであった仕事をまわりに強制する。
まわりの人が、大きく育つ瞬間ではないか。

全ての事象に意味があり、幸も不幸も受け取り方次第だ。
自らの死ですら多少なりとも意味があれば、有難たいものである。
(まだそこまで成長できていないから、生かされているのだろうか)

「死」をもって、後進の成長を促す。
「死」をもって、色即是空(未来永劫、不変なものはない)を教える。


死んで仏になると言うが、まさに人の生き方を教えてくれるのである。
(肩書や地位、物質に固執するな、と。)

本来、お経は故人に向けるものではない。
生きている我々がその意味を理解せよ、というものである。

私は父親に、今の自分があることを持って感謝する。
父親の横死に、意味を持たせることが出来るのは私自身だ。

これからも、私は私らしく活動する。
(みんなも、シガラミ囚われずに自分らしく生きられたらイイネ!)


・・・と、私の拙い言葉では伝わらないな、と今さら気付きました。

下記ブログをご覧ください(他力本願!)。
般若心経 現代語訳の紹介が有ります。
 ↓↓

般若心経ロックに付けられてた現代語訳が格好良すぎて泣いた

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