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一月三舟
世の中、いろんな事があり、いろんな見方がある。いろんな人間もいる。豊川市議会議員:倉橋英樹のblogです。
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表現の自由って何?「あいちトリエンナーレ」と「文化勲章」に対する違和感
 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展-その後-」が再開されました。

 昭和天皇を焼く映像作品についての是非は以前Facebookで書きました。

 今回は、税金で芸術家や作品を選別することについて、書きます。

 津田監督などは、政治(役所)が各芸術に対して、補助金を出すか出さないか決め、或いは文句を言うのは、表現の自由を侵害するといいます。
 確かに、と一定の筋は通っているように感じます。

 しかし、そうであるなら…
 「文化勲章」で公が芸術家を評価することもやめるべきではないか。
 「文化勲章」を貰った人はほぼイコール「文化功労者」として年金350万円が支給されています(一部辞退者がいる)。

 この年金支給は憲法14条3項「勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」に違反しているようにも見えます。
 参考/文化勲章と文化功労者の関係(Wiki)

 これこそ、憲法違反をしてでも行われる「芸術家の優劣を国が決め、年金まで支給して応援する芸術の選別・差別」ではないか。

 「表現の不自由展-その後-」に対する税金の不支給決定などが表現の自由の問題であるとするなら、「文化勲章(文化功労者)」の芸術家への授与も禁止するべきです。
 突き詰めていけば、公立美術館での作品展示も、その作品や芸術家を選別しており、選ばれない芸術家への差別だとも言われかねません。

 そうした場合、国が(公金で)どう文化芸術の推奨支援をするのか、根本的な議論が必要だと思います。


 もし、「文化勲章などは税金の支出(芸術家への応援)であって、表現の自由とは違う問題だ」というのならば、展覧会に税金を支出するか否かの判断も、表現の自由とは違う問題になると思います。

 そもそも、民間で行う展覧会に、国も政治家も異論は言っていません。
 表現の自由は守られ、検閲もされていない。自由に発表もされているのではないでしょうか。

| 2019/10/09(Wed)12:12 |
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未だ見ぬ後継者へ
 人はいつ自らの「終わり」を迎えるか分かりません。
 生命としての「終わり」、任務としての「終わり」、様々あってどのような最期を迎えるか分からない。

 先日ある方とお話して、「貴方がいなくなった先は」と問われました。
 何故、今の行動をしているのか。のちに続く人がいるかもしれない、その人たちにヒントを遺した方が良いのでは?と。

 なるほど。確かに。
 ということで、ざっくり自分の考え方・行動をひも解いてみました。


 理念的なこと。
 「地球が第一である」
 →人はそこに住まわせてもらってるだけで、その土台を大切にできなければ人類だけでなく、すべての生物の終わりを迎える。

 「7代先の子孫の為に」
 →「今が良ければいい」は、未来の子孫に影響するだけでなく、その考え自体が「地球を蝕む」から。

 判断基準・活動 
 「道理が通るか、公平であるか」
 →真っ当の競争の中でこそ、初めて人も企業も成長する。

 「常識・既成事実を疑う」
 →時代でうつろう常識に、必ずしも正解や真実がある訳ではない。誰かが覆さない限り、何も覆らない。

 「議会報告を配る」
 →選挙という上辺だけの情報で投票すれば、政治レベルは下がり、未来はより暗くなる。「政治家が何を考えているのか」広範の人が自然と手にできる媒体で知らせる義務がある。

 「批判に対する姿勢」
 →共通の理解が出来ない人は必ずいる。理解を得るのが難しいのなら、そこに時間は使わず、未来に動ける人へ時間を使う。

 番外 
 「私は馬鹿である」
 →元々、私は学校の成績も悪く、今の立場になるなど夢にも思わなかった。誰もが「心が動いたとき」、きっと何ものにもなれます。

 「無力であることも自覚する(肩の力を抜く)」
 →お釈迦様でも世の中を変え切れなかった。しかし、その教えは引き継がれている。いつか自分も誰かのための、小さなバトンになれていたら良いなと思っています。
 

| 2019/04/29(Mon)13:58 |
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東京都知事選挙に思う、SNSで気を付けたいこと。
 2016年東京都知事選挙が終わりました。

 ある意味、分裂選挙であるにも拘らず増田候補があそこまで得票できてしまう自民党の底力を感じさせられる選挙であり、鳥越氏の惨敗からは野党の力の無さが浮き彫りになった選挙でもありました。

 当選した小池氏には、選挙戦で訴えていた通り、「都政の透明化」「オリンピックの予算見直し」「LED化推進等による脱原発」などを進めていって欲しい。

 さて、SNSで最近気を付けたいと思っている事があります。
 
フェイスブックなど顔の見えるSNSでは、日本人の心優しい配慮から「周りの異論」に気づけなくなるということです。

 友人の投稿に「異論をはさむ」のは勇気の要ることです。
 また、「異論」を言ってしまった後に集中砲火を浴びる可能性もあり、その労力を思うと更に腰も引けるでしょう。

 特に、政治関係になると「この人を当選させる」という目的が出来てしまって、何を言っても馬耳東風という状態になってしまう事もあるだろう。
 中には「都合のいい情報(嘘を含む)は真実で、都合の悪い情報は無かったことにする」かのような人もいる。
 (選挙応援者としては優秀でも、政治的に正しいことかは非常に疑問です)

 これでは、異論を伝える「意義」も無くなり、結果その人の周りは「同じ主張ばかり」になって、余計に視野が狭ばり現実が見られなくなっていく

 当たり前のことですが、友達関係も「見ていて気持ちいい」投稿をする人たちに偏ってしまいがちになります。

 幸い私の友達には、いろんな主張をされる人がいてくれる。
 それでも、私の投稿に必ずしも同意しないけど黙っててくれる人もいると思う。

 たまに、私の投稿への返信が好意的なものばかりで「すごいね。みんな応援してくれてるね」と言ってくれる人もいる。
 けれど、やはり表には出てこない「異論の存在」を常に意識しておかなくてはならない。

 SNSは人と人との距離を縮め、とても有意義なものです。しかし・・・
 その弊害を特に政治家は気を付けていかないといけない。



| 2016/08/01(Mon)15:00 |
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誤診と名医と自分
冲中重雄という、大変著名な名医がいた。
東京大学の名誉教授で、勲一等瑞宝章を受章したような人(故人)です。

そんな名医が最後の講義で「私の誤診率は14%」と語った。

医療関係者たちは驚いた →「そんなに少ないのか!」
僕たち一般人はこう思った→
「そんなに多いのか!」

後医は名医とも言う。
最初の診断から、時間の経過で実際は・・・ということは医療としては当たり前の話だそうだ。

あるお医者様に問合せ、お聞きした言葉をそのまま紹介します。
 「風邪は万病の元」という言葉があります。
 これは、「風邪」から色々な病気に発展して いくということではなく、病気の始めには、風邪と同じような症状を呈することがあるという話です。

 診断には、経過をみることも必要です。
 具合が悪いから病院に行ったけども当日・・・診断書が欲しいと言われれば、とりあえず、「風邪」「過労」とか、何らかの病名を付けなければならないかもしれません。
 結果、違 う病気だったということになれば・・・それを「誤診」と言われることもあるでしょう。


「誤診」という言葉は、患者側と医師ではその定義や印象が全く違ってくる。
僕らはお医者さんが何でも病気をすぐに見通せるスーパーマンだと勘違い(期待)していないか。

勝手に期待して、怒るのはちょっと違う気がしてくる。

体調の経過報告やセカンドオピニオンなど、患者側も自分の体を自分の目と体感で、お医者さんと共に診ていくべきなんだろう。

また、明日行う私の一般質問でも少し触れる予定ですが・・・
以前から言われてたりもするけれど、日本の医師の勤務実態などは非常に厳しい部分もある。

人間、過労状態で良い仕事を続けるのは難しいだろう。
当然、医師の過労は自分たち患者になる側の不利益となってくるでしょう。

民間療法や過度な医療依存があればその是正など、根本的なところを市民国民が自分のこととして考えていかなくてはならないのではないか。

参考リンク
酷使される勤務医の実態~


| 2014/09/01(Mon)23:05 |
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憲法、集団的自衛権、国防について
 活動報告紙13解釈改憲に対する討論である程度私の考えは公表させて頂いていますが、若干説明不足の感もあるので、補足を兼ねて書き残しておきます。

【基本認識】憲法9条には、自衛権・自衛隊保有の権利がある。
 よく共産党などが、「自衛隊は違憲だ」と言います。
 よく右派も、「9条に自衛隊を明記しないと!」みたいなことを言います。

 しかし、以下の憲法制定の経緯から自衛隊は、合憲だと考えられます。 

 ①マッカーサー元帥の当初案 

日本は紛争解決の手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や成果を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
*解釈
赤字部分に注目すると、【戦争】には侵略戦争と自衛戦争の二種類の戦争がある事を示して、両方とも放棄させようとしています。

  ②ケーディス民政局次長の修正

 「自衛戦争の放棄は非現実的」として、マッカーサー原案の【自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する】という文言を削除しました。

 そこで、現行憲法をおさらいします。
憲法第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 赤字部分を、重ねて読んでみてください。
 国際紛争を解決する手段としては、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」となります。
 =自衛の為の戦力は、保持しても良いという事です。

 結論として、どこまでが自衛戦力かという議論の余地はあるものの、憲法9条においても「自衛隊の存在は合憲」であると理解できます。
           

【この国の国防問題】
 上記のように、この国には自衛権も自衛の為の武力行使も認められています。
 しかし、この国は尖閣諸島・竹島などの領土領海の侵害に対して、自衛権を発動していません。

 そしてなぜか、集団的自衛権があればどうにかなるとでも政府は錯覚しているかのようです。
 集団的自衛権の行使とは、その相手国に対する宣戦布告です。どれだけの人が想像できているでしょうか。

 自衛権を発動できない尖閣諸島・竹島での自省的(臆病?)な態度から、どうして集団的自衛権の発動=宣戦布告が出来るのか。
 小手先の解釈変更では、何の解決にもなっていないのです。

 一方で、念仏を唱えるが如くの護憲派にも辟易してしまいます。
 彼らは、他国からの侵略に対して何の解決策も示さないからです。

 改憲・護憲共に、目の前にある問題の解決策を、或いは妥協策を国民の前で議論すべきです。
 そして、国民の覚悟(或いは妥協)と共に、この国の目指すべき国の姿を憲法として示すべきです(勿論、結果的に改憲せずの答えだっていい)。

~因みに、私ならこんな9条(改憲)を提案するよ~

・国民及び国土領海領空を守るため以外に自衛権の発動はしない。また、必要以上の戦力も保持しない。
・他国間の国際紛争に対しては中立を維持し、国際平和協力活動においても人道的見地に立った行動を旨とする。


【追記】
 なお、「集団的自衛権がないと中国が攻めてきたとき、助けてくれない」という人がいるかもしれない。
 しかし、いま南沙諸島侵略中の中国を誰も攻撃しないように、元から他力本願など期待できない夢想であると言えます。

 自分たちの国を、どう自分たちで守るかが解釈改憲なんかよりもずっと必要な議論であるはずです。


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| 2014/07/13(Sun)21:11 |
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